八賢伝 - 衣裳パレード①

芸術の秋、真っ只中

ここ、倉吉未来中心では、今月16日に本番を迎える、
とりアート2011 メイン事業『八賢伝』の公演準備、真っ只中

少しずつではありますが、稽古の様子など、この事業ブログを通して皆さまへお伝えしていきたいと思います

まずはじめに

衣裳パレードと題し、2日間かけて役者の衣裳ヘアメイクを行いましたので、その時の様子を少しご紹介します…
が、その前に

“衣裳パレード”と言っても、今回は本当に街に出てねり歩くわけではありません。
『八賢伝』の世界をイメージしながら、役者さん一人ひとりに衣裳やヘアメイクを施していく作業が衣裳パレードなんです

なーんだ、単なる衣裳合わせか、と思われた方もいらっしゃると思いますが、それは大きな間違い

衣裳やヘアメイクは、その時代に合わせなくてはいけないし、
何と言ってもメイクの仕方によって作品が大きく変わってしまうくらい大切な作業なのです

お待たせいたしました!それでは衣裳パレードの模様をお伝えします

10月1日(土)朝、倉吉未来中心に保管していた衣裳たちを全て三朝町文化ホールへ移動


そして、役者一人ひとりに、衣裳を合わせていきました

役者の体型、そしてどんな人物を演じるかによって衣裳の着方、ヘアメイクも変わってきます

衣裳スタッフのアイロン&ミシンはフル稼働

現場は喧々諤々(けんけんがくがく)、時には大きな声が飛び交い、皆さん真剣そのもの。
見ている私にもその空気がひしひしと伝わってきました。
ひとり、またひとりと、衣裳が決まってくると、
江戸時代を知らない私でさえ、その当時の武士になったかのような、
そんな錯覚を覚える雰囲気でした。衣裳やヘアメイク恐るべしですね。
衣裳部屋は、江戸時代にタイムスリップしたかのような、懐かしい香り。
なんだか、とってもワクワクしてきます

この日の作業は、夜中まで続きました



公演情報はコチラ⇒
とりアート2011メイン事業
『八賢伝』~「音楽」×「演劇」で再びよみがえる里見伝説
江戸時代の初め。安房の大名だった里見安房守忠義は、伯耆国・倉吉に国替えとなった。その後、忠義は二十九歳の若さで亡くなり、八人の家臣が殉死。全員の戒名に「賢」の字があることから、八賢士と語り継がれている。
忠義終焉の地、関金の堀村では殉死した家臣を祀る六人塚がある。なぜ家臣の数が八人ではなく六人なのか。堀村に残る「アワノカミサマ」と忠義の関係は?
堀村に移り住んだ後の忠義の無念の死と家臣たちの殉死、そしてその二十五年後までを描く。現代人が忘れかけている「まことのこころ」を追い求めた八人の侍たちの物語。
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